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いまこの瞬間を大切に


by peugeotcc
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保育園

息子は先週から保育園に行っています。最初は慣らし保育ということで、午前中のみの保育から始まり、今週からは午後3時まで預かっていただいています。

今まで完全母乳で育てていたので冷凍母乳を持参していましたが、保育士さんいわく、量が足りないのか飲み終わっても指をくわえることが多いとのこと。1回量として160ml渡していたのですが、これから夕方まで預けるのに2回分を搾乳するのは難しいと思い、昨日試しにミルクを与えてみました。何の違和感も無くすんなりと飲んで、体調も変わりなかったのでほっとしました。本当は完全母乳を続けたかったのですが、仕事をする都合上仕方がありません。ミルクの方が太りやすいと聞いていますが、哺乳瓶を工夫すれば大丈夫かと思います。ミルクだと腹持ちがいいようで、昨日は飲んだ後ぐっすりと寝てくれました。

保育士さんからは毎日ノートにコメントを頂きます。昨日は、いないいないばあをして大変喜んだと書いてありました。他のお子さん達とも仲良く、良い刺激を受けて大きくなってほしいと思います。
# by peugeotcc | 2011-04-13 12:03 | 子供の話

やっぱり来た!

昨日も夕方に福島県沖を震源地とする大きな余震が起きました。当地は震度5の揺れでしたが、震源がここから遠かったこともあり、先週の余震よりはひどく揺れず驚きませんでした。揺れ始めた瞬間、前回のこともあり、とっさに電子レンジと食器棚を押さえました。

私の実家は震源ちかくのため、震度6弱だったそうです。電話もつながらず、停電したとニュースで知りました。幸い身内はみな無事だったのですが、原発の問題もあり、復興までには相当時間がかかりそうです。原発事故はレベル7、つまりチェルノブイリと同じ評価になりました。計画的退避地域になった場所は数ヶ月単位で移住を余儀なくされることになります。畜産や農業で生計を立てている方がおおい地域なので、突然退避と言われても住民の方々は本当に困惑されていると思います。いったい東電は今後どういう保障をかんがえているのでしょうか。

耐震グッツとして、耐震マットと滑り止めシート、耐震ロックを購入しました。しかし在庫が不足していてすぐには届かない状態です。カセットコンロや水は食料と一緒にすぐに取り出せる場所におき、寝るときには枕元に懐中電灯を常備することにしました。

早く落ち着いて寝られる日がくるとよいのですが。
# by peugeotcc | 2011-04-12 11:34 | 思う

気を取り直して

4/7の夜、最大余震が起きました。前回の震災時と同様に、ドンと突き上げるような振動を感じた後、凄まじい揺れを感じました。揺れている時間が短かったためか、前回と同じ震度の割には被害が少なかったように思います。今回は幸いなことにライフラインはとまりませんでした。しかし、仙台市内の他地域では前回の地震よりも被害が大きかったところもあるようです。折角復旧しかけていたJRや公共施設も被害を受けてしまい、再開までさらに時間がかかるようです。

家の中で、地震によって被害を受ける場所がだいたい同じであることに気づきました。電子レンジは2度も棚から落ちましたが、なんとか作動できるようです。冷蔵庫の中身も飛び出しました。前回片付けた食器棚からは、数枚のグラスが飛び出して割れました。前回の地震でかなりのグラスが破損して収納スペースが広くなっていた分、被害がすくなかったみたいです。まだ片付けが終わっていなかった書斎はさらに散乱しました。片付けしていなくてよかったのか悪かったのか(笑うしかありませんが。)

こんなことでメゲていられないと思い、夜中の3時まで片付けを終わらせました。深夜だったので停電しなくて本当に良かったです。

週末には久しぶりにデパートに出かけました。短縮営業であったり、商品が品薄な感じはしたものの、人がたくさん集まっていて賑わっていました。こんなときだからこそ、自粛しすぎたりせず、日頃と同じような生活をするべきだと思います。個人が消費活動を活性化させることが復興には不可欠でしょう。きちんと仕事をして税金を納め、風評に惑わされること無く被災地の商品を購入して応援することが大切だと思います。

今後、M7クラスの余震が起きる可能性があると言われています、二度あることは三度あるというように、今度こそは地震に備えて家具や食器の固定をしておこうと思います。
# by peugeotcc | 2011-04-11 11:24 | 思う

震災の後

地震の後、幸いなことに水道は使えました。電気の復旧も他地域に比べて早く、翌日の夜から使用可能となりました。しかし、都市ガスは生成工場が津波で壊滅的な被害を受けたため、復旧までには1か月以上かかるだろうと報道されていました。

ガソリンと灯油が不足していること、スーパーが軒並み閉店の状況の中、街中では残り少ない物資を探して、リュックを背負って歩いたり自転車に乗る人を多数見かけました。我が家は私の買物癖のおかげ(?)でかなり食料の備蓄があり、買い出しにいかなくとも2週間程は暮らしていける状況でした。ガスが使えないので、ホットプレートを2台並べ、電気ポットでお湯を沸かして調理をしていますが、こんなことならばカセットコンロを買っておくべきだったと後悔しました。購入したくてもどこも在庫が無いのと、物流が止まっているので宅急便で届けてもらう訳にもいきません。

地震と津波だけでも大変なのに、そこに福島第一原発の放射能の問題まで重なってしまい、原発のある福島県浜通り地方は悲惨な状況になっています。わたしの実家も近くにあり、同級生もたくさんいるためとても他人事とは思えません。知人の話によれば、原発ちかくの住民達は避難生活が年単位になるだろうとのことでした。実家は原発から50キロ離れており、自宅退避の指示も出ていませんが、物流が途絶えたのと放射能の心配から今後の生活を憂いて東京へ脱出する人が多数とのことです.

連休に初めて買い出しに出かけました。近くのスーパーに10分並んで入れましたが、在庫が無くなり次第終了とのこと、私が入店してからすぐに閉店となってしまいました。ガソリン不足は震災直後から改善せず、4時間待ってわずか2000円分しか給油できない状況だったので、満タンにできない人たちが再度並んで給油しているらしく、ガソリンスタンド待ちの車が一車線を占領し渋滞となっていました。

緊急支援車両しか使えなかった高速道路が一般車両にも開放されたため、物流が徐々に良くなってきました。宅急便の受け取りも営業所までならできるようになったので、早速息子のオムツを購入して送ってもらうことにしました。しかし、小さいサイズのオムツはネットでも希望するメーカーのものが売っておらず、結局いつもの1.5倍の値段で取り寄せせざるを得ませんでした。その後は原発から遠く離れた千葉県や東京で乳児の摂取基準を超えるヨウ素が検出されたとの報道があり、ミネラルウォーターの在庫もあっという間に無くなってしまいました。

福島の原発と宮城の女川原発が稼働していないこと、太平洋沿岸の火力発電所も被災したため、電力不足となり、計画停電が始まりました。当地は被災地のために対象外でしたが、実施された地域では大混乱が生じたようです。実施するかしないかは前日の夜に決まるらしく、このため電車のダイヤが乱れて通勤困難者が続出、病院では予定していた検査や手術ができない、もやしや納豆、ヨーグルトの出荷ができない等々、いろいろなところで問題が発生しました。

震災から大分経つのに、余震は一向に治まりません。震度3〜4くらいは2日に1度くらいはおこります。いつも体が揺れているような感覚で、まるで飛行機に乗っているような感覚です。日ごとに余震は減っているのでこのまま収束するのだろうと思っていましたが、まさかこの後に震度6の地震を経験するとは。。。
# by peugeotcc | 2011-04-09 11:27 | 思う

3月11日

あの日からもう3週間が経ちました。

東北関東大震災があったとき、私は息子の保育園にいました。4月2日の入園を前に保護者説明会があったためです。午後3時から仕事が入っていたので、説明会が早く終わらないかなあと時計をちらりと見た瞬間、グラッと揺れが来ました。私の住む仙台は数年前にも大きな地震を何度か経験しており、保育園のホールにいた40名ほどは慌てること無く、すぐに治まるものだと思いじっとしていました。ところが、揺れは一向に治まらず、これはいつもと違うと感じ始めた頃にホールの天井からパラパラと白い粉が落ち始めました。すぐに携帯電話で職場に連絡をしましたが、まったく電話が通じません。携帯サイトで震度7を超える地震だということが分かりました。説明会は途中で中止となり、足早に職場へ向かいましたが、車に乗っていても揺れが分かるくらいの余震が続き、停電で信号機がとまってしまったなか、とにかく早く戻らなくてはと思いました。

職場では、主人が息子を安全なところに避難させており、駐車場には職員がみな不安げに集まっていました。”息子さんは無事ですよ”と職員の一人に言われるまで、息子のことが思い浮かばず、今思えば、かなり動転していたのでしょう。職場では内部の棚が落ちて物が散乱していましたが、建物に大きな被害はなさそうで、内部にいた人はみな無事でした。

職場から皆を帰し、いったん建物の中に入りましたが、普段過ごしている部屋が足の踏み場も無い状態になっており、棚から飛び出た食器やグラスが割れて散乱していました。棚の上に設置した電子レンジがゴロンと転がり、冷蔵庫が1メートル近く移動していました。別の部屋の本棚は倒れて、手前に置いていた着物の収納箱を直撃しており、移動したピアノが壁を破っていました。主人に言わせると、散乱している物の大部分は私の物だったとのことです。日頃の買物ぐせが招いたことだと反省しましたが、冷蔵庫に関しては、たくさん食材を詰め込んでいたために倒れずにすんだみたいです。

停電のため、手動で発電できるラジオ付き懐中電灯と、携帯電話の充電器を探し出し、情報を収集しようとしました。ラジオでは仙台沿岸部でなくなった方が数名と言っていましたが、まさかそのときには津波でたくさんの方が被害にあっているとは想像していませんでした。

電気の無い状態で迎えた夕暮れは静かで寒かったです。時間が経つにつれて、携帯電話のテレビ放送で被害状況が段々と分かってきました。これはとんでもないことになってしまった。これからどうなるのだろうと不安な一夜を過ごしました。
# by peugeotcc | 2011-04-01 12:00 | 思う